「Uターン」という選択。
3月下旬、とある場所に集められた3名。
普段集まることが無い珍しいメンバーですが、どうやらとある「共通点」があるようです。
髙倉 潤 (JUN TAKAKURA)
FDM株式会社 代表取締役社長
東京都内での設計事務所共同主宰を経て、2015年4月、FDM株式会社入社。都内と大分で2拠点活動をし、2017年大分県に帰郷。2017年取締役副社長を経て、2021年5月、代表取締役社長就任。
釘宮 直也(NAOYA KUGIMIYA)
FDM株式会社 住宅事業部 設計課
東京都内で設計から施工、デザインなどのキャリアを経て、2019年4月入社。住宅や店舗、リノベーション等の設計やデザインなどを手掛ける。
杉田 理央奈(RIONA SUGITA)
FDM株式会社 管理部広報課
東京都内で他業界の広報に携わる。Uターンを機に、2022年4月入社。スキルを活かした広報業務を行いつつ、建築業界を勉強中。
【杉田】:「本日お集まり頂いた皆様には、とある共通点があるのですが・・・。何かわかりますか??笑」
【釘宮】:「全然見当がつかないです。緊張しますね・・・。(笑)」
【杉田】:「本日のテーマは「Uターンという選択。」です。名前の通りにはなりますが、今回はその経歴をお持ちの方々にお集まり頂きました。過去・現在・未来と、Uターンというキャリアが、人生にどのような影響を与えているのか、ざっくばらんに対談できたらと思います。よろしくお願い致します。」
【釘宮】:「なるほど!!確かに皆さんUターン組ですね!」
【髙倉】:「楽しそうですね。(笑)よろしくお願い致します。」
―― 「都会」でのキャリア。「Uターン」のきっかけ。
【杉田】:「社長のキャリアについて、きちんとお伺いする機会がなかったのですが・・・。改めてお話頂いてもよろしいですか?」
【髙倉】:「大学を卒業後、東京で設計事務所をしていました。大分に戻ってきたのは6年前なのですが、戻る前から、当時代表だった父の会社(旧:西日本グッドパートナー株式会社。現在はFDM株式会社)の手伝いをしたりしていたので、数年ほど、「二拠点生活」でした。朝イチの便で東京から大分へ移動し、9時に出社。夜遅い便で東京へ戻る、というスケジュールでしたね。」
【杉田】:「かなりのハードスケジュールですね~!こなされていたのが凄いです・・・。」
【釘宮】:「そもそも、「建築」という道を志したきっかけって何だったんですか?」
【髙倉】:「小学生の頃、仲の良い友人の家に遊びに行ったのですが、そこのお父さんが一級建築士だったんです。たまたま仕事をしている姿をみることがあり、それがきっかけでしたね。なので、12歳の頃には建築士の道を志していました。」
【釘宮】:「凄いですね~!小学生の頃からだなんて。」
【髙倉】:「元々、「ものづくり」が好きだったんですよ。それは、僕自身が「田舎育ち」というところからきていると思いますが、田舎は東京と違ってお店が少ないから、「お店に売ってないし、だったらつくってみよう!」という発想になることが多く、気づいたら「DIY精神」みたいなものは根付いていましたね。(笑) そんな中で、「建築を学んだら、なんでも作れるのではないだろうか?」と思うようになりました。(笑)」
【杉田】:「もはや、家を建てることができれば、作れないものは無い!!というマインドですね。私だったら絶対できないです・・・。探してでも購入に走るかも・・・。(笑)」
【髙倉】:「釘宮さんも東京での生活は長かったんですよね?」
【釘宮】:「そうですね。僕は、建築系の専門学校を卒業してすぐ関東で働き始めました。設計・施工からデザインまで様々な職種を経験しましたね。とにかく、みるものからつくるものまで刺激の多い毎日を送っていました。子供が生まれたのを機に大分に帰ってきて、4年前にFDMに入社しました。
【髙倉】:「そうすると、かなり長い期間関東で働いていたんですね。杉田さんも、この中では入社歴が一番浅いですが、Uターン経験者ということで。」
【杉田】:「はい。釘宮さんと似ているのですが、短大を卒業してすぐ関東で働き始めました。FDMに入社したのは1年前になります。それまでは、畑(業界)は違いましたが、職種は一緒なので、業務の飲み込みは比較的スムーズでしたね。もちろん、まだまだ勉強中のこともたくさんありますが。(笑)」
――― 時代と共に緩和する、「都会と田舎」というギャップ。
【杉田】:「皆さん、長い間関東にいらっしゃったとのことですが、大分に帰郷していざ働くと様々な悩みがあったのではないでしょうか?」
【釘宮】:「そうですね。物理的な部分で言えば、情報のインプットの範囲が狭いところですかね。これは、「都会と田舎」というところでは仕方が無いことなので、より「リサーチ」に力を入れるようになりました。例えば、お客様との雑談で出た話題の飲食店は実際に行ってみたり、SNSリサーチも、以前より行うようになりましたね。コツコツと繰り返していくうちに、少しずつ解決していけたと思います。」
【髙倉】:「確かに田舎は、都会と比較してヒトやモノなど「分母」が少ない。だから、同じ感覚のヒトや好みのモノを見つけるのが難しいですよね。でも今の時代、情報社会と言われるように、WEBも普及してきているし、地方企業もそれに順応してきている。「田舎だから」というギャップは少しずつ無くなってきているのかなと思います。」
【杉田】:「前のお話に戻りますが、私のUターンのきっかけの一つに、「新型コロナウイルスの流行」というものがあります。これは女性に多いかもしれないのですが、結婚・出産・家族ができて、「10年、20年後、自分はどういう環境でどのように生活したいのか?」と漠然と考えたときに、「生まれ育った街で心も体も健やかに暮らしたい」という結論にたどり着きましたね。なので、ギャップという点ではあまり悩むことはなかったです。あと、Uターンって誰しもが経験することではないと思うので、この経験が少しでも地元で役立つのであれば有難いなとも。」
【髙倉】:「どの業界でも、そういった経験をお持ちの方は必ず即戦力になりますね。釘宮さんも、ポートフォリオを見てすぐ「採用!」となりましたし。(笑)」
【釘宮】:「ありがとうございます。(笑)」
【髙倉】:「だから、重宝される分「活躍」の場もたくさんあると思います。生まれ育った街であれば、やりがいも増しますし。僕はそういう人が、FDMにはもちろん「大分」という街でもっと増えていってほしいと思いますね。」
――― 現代で注目されている、「移住」という選択。
【髙倉】:「先程杉田さんのお話にも出てきた「新型コロナウイルスの流行」もそうですが、Uターンのきっかけって人それぞれですよね。例えば同じ例として、「3.11」(東日本大震災)というものがありますが、自然災害などをきっかけに「移住」というワードを多く見かけるようになりましたよね。」
【釘宮】:「確かに、SNSとかでも移住をテーマに発信されている方を多く見かけます。」
【杉田】:「私の友人でも何人かいますね。たまにですが、移住したところで地元の方々に受け入れてくれるのだろうか心配、というところから、なかなか決断に踏み出せないという声は耳にします。」
【髙倉】:「これは属にいう「Iターン」というものですが、昔と比べたら「移住」に対しての関心は高まってきていると感じます。ワーキングスタイルを見直す地方企業も多くみられますし、地方自治体のサポートを受けられる街も多い。設計士の観点から言えば、建物を建てるときの縛り(建築条件)が都会と比べると少ないから、その分、設計のやりがいっていうものは感じます。」
【釘宮】:「そうですね。移住者が増えると田舎も活気づきますし、何より自身が、豊かに暮らすことができると思います。だから、あまり悩まなくてもいい気がしますね。」
【杉田】:「ですよね!友人に伝えときます!笑」
――― 今後のFDM。それぞれの「想い」。
【杉田】:「今後、FDMでどのように働いていきたいですか?また、どのような方々と働いていきたいですか??皆様の「想い」をお聞かせください。」
【釘宮】:「お客様との打ち合わせの際に一番大切だと思うのが、コミュニケーション能力。これはどの仕事にも共通すると思うのですが、相手がどのような考えを持ち、どのような想いを持っているのか、しっかり聞き出して、設計に落とし込む。+αで都会で培ったスキルを活かしたり、時には雑談を交えたり。そういう人は、相手の印象に残りますし、安心感も与える。住宅って、人生で一番大きい買い物といわれているからこそ、「人間力」というのが重要なのかなと思います。それは、FDMで働きたいと思っている人はもちろん、僕自身も大切にしていきたいと思いますね。」
【髙倉】:「Uターンの方はもちろんですが、都会でキャリアを積んで、人生の後半は田舎で暮らしたい。という人も年齢問わず大歓迎です。大分は、空気が美味しいし温泉もあったり魅力がたくさん。都会で培った知見が活かせるヒントがたくさんある街です。生まれ育った街を、更によくしていきたい。そういうパッションを持っている方は、一緒に働いたら面白いだろうなと思いますし、田舎の力になることは間違いないですね。」
【杉田】:「確かに、大分の魅力ってたくさんありますよね。私が関東に住んでいたころ、大分出身でいうだけで羨ましいと言われることも多かったですし、故郷がいろんな方々に愛されるということって素敵じゃないですか。Uターンという選択が、会社にとってはもちろん、地元の役に立てたと感じるその日まで、走り続けたいなと思います。」